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オーケストラバルスVol5参加記 その4(ムスカ大佐にあこがれる) [オーケストラバルスVol5]

ラピュタの登場人物の中でムスカ大佐は別格でした。

「人がごみのようだ!」
「最高のショーだと思わんかね?」
「目が~」

など、名ゼリフとともにムスカ大佐のキャラクターは思春期の私の心をガッチリととらえました。
学校などでもムスカ大佐風のしゃべりをしようとしたり、ノートの端にムスカ大佐の似顔絵を
書いたりと、完全に中二病の怪しいやつになっていました。
進路希望にも「ムスカ大佐」と書こうとして止めるほど。

しまいには、
「実はムスカ大佐はエンディングでぷかぷか浮いているラピュタにまだ生きていて、
残った巨大飛行石を使って何等か逆襲をもくろんでいるに違いない」
と妄想する始末。
(その後ムスカ大佐は海に落ちている事を知り妄想はあえなく潰えました。)

そして、ムスカ大佐を演じている「寺田農さん」もどんな方か知りたいと思うようになりました。
テレビの出演者を色々と見ていくうちに、独眼竜正宗の大内定綱役だと知って、
甲冑もしくは和装姿の大内定綱とダブルのスーツのムスカ大佐とのギャップに悩みながら、
「この人がムスカ大佐の声の人なのか・・・」
と感慨深い思いで見ていました。


オーケストラバルスVol5参加記 その3(ラピュタ中毒に) [オーケストラバルスVol5]

【ラピュタテレビ初放送】
ラピュタのテレビ放送に備えて、ウォッチマンと言う地元の家電量販店で
50円のVHSビデオテープを購入し、録画の準備万端整えました。

ただ、放映当日は、私は桶狭間の親戚の家に行かなくてなならなかったため、
録画操作は兄貴に任せ、親戚の家で親戚も巻き込んで鑑賞しました。

テレビは宮崎駿監督をゲストに、CWニコルさんがVTRでメッセージを寄せると言う
中々凝った構成で、今では想像もできませんが、当時まだテレビ出演に慣れていなくて、
ガチガチに緊張気味に話す宮崎監督のインタビューを見ることができました。

本編が始まり、今まで断片的だった記憶がどんどんと繋がって行きます。
ラピュタ崩壊のシーンでニュース速報(誘拐事件解決の報)が入るというハプニングが
あったものの、あっという間に放映は終わり、ただただ放心状態でした。

そこから、私のラピュタ中毒が本格化しました。
まず、一日一ラピュタといった具合で、兄貴が録画してくれたビデオを毎日飽きもせずに
見まくりました。50円の安いテープでしたが、切れたりデッキに巻き込まれたりすることなく
毎日私にラピュタを届けてくれました。おかげさまで、セリフはもちろんの事、
ハプニングで入ってしまったニュース速報まで全部頭の中に入ってしまいました。

さらに、中学校入学のお祝いでもらった図書券などを、全部ラピュタ関連書籍につぎ込みました。
とりわけ、徳間書店から出版されていたロマンアルバムと絵コンテは読みふけりました。
ロマンアルバムは、制作時の裏話がとても面白く、
絵コンテは、聞き取りにくかったセリフのリスニングに役立ちましたし、
何といっても極めて分かりやすく画面構成や登場人物の動きが説明されているのに感動しました。

そんなこんなで、私の生活は毎日がラピュタ一色で、
友達と話していてもラピュタ、
授業中もノートの端っこにラピュタキャラクターの落書き、
家に帰ればもちろん一日一ラピュタ、
それ以外はあんまり記憶にない、というようなありさまでした。

そして、そんなラピュタのキャラクターでも特に惹かれたのが「ムスカ大佐」でした。


オーケストラバルスVol5参加記 その2(ラピュタとの出会い) [オーケストラバルスVol5]

【ラピュタとの出会い】
そんなある日の事、私の兄が友人から借りてきたビデオを見せてくれました。
それがまさに「天空の城ラピュタ」でした。

最初は全く興味を示さなかった私に、
「面白いから絶対見ろ!」
と兄が強く勧めてくるので、仕方なくという感じで見始めました。

まさに衝撃でした。
とてつもなく大きな衝撃でした。
まったく別の世界に連れていかれたような、
突然自分の目の前に広い空間が開けたような、
何かから解放されたような、
とにかく、言葉では言い表せないような衝撃が走りました。

「こういう作品はじっくり味わって見るものだ」
という兄の方針で、1日10分ずつ作品を見進めていきました。
本当は一気に全部見たいところでしたが。。。
ところが、どういった経緯かは覚えていませんが
最後まで見ないうちに、ビデオは兄の友人に返却されてしまいました。

何とかして結末を知りたい、あの高揚感や開放感を味わいたい、と思っても、
当時は正規のビデオソフトは15,000円位の高価なもので、月400円のお小遣いの私には
とても手が出るものではありません。
レンタルビデオ屋に並ぶのも、ビデオの売り上げに影響させないという大人の事情からか、
発売後半年か1年ぐらいは待たなければなりませんし、仮にレンタルが開始されたとしても
ずっと貸し出し中だったりします。

ひたすらモヤモヤモヤモヤした日々を過ごしていた私でしたが、
ある日、「天空の城ラピュタ」がテレビ放映される、という情報がもたらされました。


オーケストラバルスVol5参加記 その1(プロローグ) [オーケストラバルスVol5]

去る3月20日日曜日、渋谷のオーチャードホールで行われた、
「オーケストラバルス Vol5」にコントラバスで参加してまいりました。

「オーケストラバルス」とは、スタジオジブリの映画音楽を自分たちでも奏でたい、
という音楽ファンが作り上げたアマチュアオーケストラで、
今回は「天空の城ラピュタ」がメインに取り上げられました。
http://www.orchestravalse.jp/

「天空の城ラピュタ」は私にとってとても思い入れの深い作品で、
大変感慨深いものがありました。

ラピュタが公開されて今年で30周年。
むかしの思い出などを織り交ぜながら、演奏会を振り返ってみたいと思います。

【ラピュタ公開当時の私】
ラピュタが公開された1986年、私は小学校5年生でした。
当時、私にとってアニメと言えば藤子不二雄が絶対的な存在で、
ドラえもん、パーマン、おばけのQ太郎、などがスタンダードでした。

もちろん、それ以外にもアニメがあることは知ってはいましたが、
当時テレビは家に一台しかなく、ゴールデンタイムには必ず中日ドラゴンズの
野球中継があり、チャンネル権を持たない私は付き合って野球をみるしかありま
せんでした。(当時は今ほど熱烈なドラキチではなかった)

映画館に観に行こうにもお金がありません。
さらに、
「児童が映画館に行く場合は、事前に必ず担任の教師に申告し許可を得て、父母同伴で行くこと」
という、厳しい校則があり、実際先生が見回りに来ることもありました。

私の両親は自営業(薬局)で共働きでいつも忙しく、
「映画を見に連れて行ってほしい」
とはとても頼めませんでした。

そんなこんなで、「天空の城ラピュタ」という作品については、
公開当時は全く何も知らずに通り過ぎて行ってしまいました。

ついでに、翌年の1987年に、地元岡崎市の市政70周年を記念して
「葵博」という地方博覧会が開催され、総合プロデューサーを手塚治虫先生が務めておられました。
手塚先生はお忙しい中を頻繁に岡崎市にお見えになり、
私も一度だけ間近で手塚先生を拝見する機会がありました。

大きな紙に物凄い速さでアトムやブラックジャック、リボンの騎士等が描かれるさまは魔法のようで、
さらに手塚先生が出題する岡崎市に関連するクイズやなぞなぞに正解した観客には
その場で描いた絵をプレゼントするという、サービス精神や博識さに完全に魅了されました。

この体験が、さらに私を、手塚治虫とその影響を強く受けた藤子不二雄の世界に惹きつけることとなりました。


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